このブログを始めた頃、私がアーティストを目指していたことは記述した。
本日はそのことについて少し触れてみたい。
要所要所に自慢が入ること請負なので、
面倒だと思う方は流し読みしていただいても構わない。
私はサックスとギターを多少演奏する事ができる。
若き頃はいくつもバンドを組んでいた。
その中で一番私の記憶に残っているバンドは、
アーティストへの道を諦める時まで続けていた、
私がリーダーのバンドである。
このバンドは今まで組んだバンドの中で、一番夢を見る事ができたバンドであった。
当然、そのバンドはオリジナル曲を演奏していた。
作詞作曲はもちろん私である。
ボーカルは女の子であったため、私が女の子の気持ちを代弁していた。
彼のことが好きだの、彼を愛しているだの、いつまでも待ってるわだの、
作詞者本人が聞いても虫酸の走る言葉をつらつらと並べていたものである。
それでも、私のCDを買ってくれる人はほとんどが女性であった。
CDにクレジットしている作詞者名は、男が書いている事を隠すため、
バンド名義にしていたことが良かったのかもしれない。
きっと、当時私の曲を購入していたファンの方々は、
ボーカルの女の子が描いた作品と思ったことだろう。
思えば、詐欺まがいの商法であった。
当時、私のバンドは、地方のラジオ番組に登場したり、
ブイだけではあるが、深夜放送で紹介されたり、CS番組で取り上げられたり、
そこそこの盛り上がりを見せていた。
オーディションがあれば必ず楽曲を提出していた。
なぜか、私の作った曲は最終選考まで無事通過していたものだ。
ファンの方もいたし、当時の私は冗談じゃなくよくモテた。
ライブが始まる前は出待ちをするファンの女の子がいたし、
ジャニーズ所属アイドルのように、
キラキラで縁取りされた私の名前入りのうちわを、
ライブ中に降ってもらったりもしていた。
人生で名前入りのうちわを降ってもらった経験のある人はそう多くないだろうから、
これは今でも私の自慢話の一つである。
私のバンドが解散した理由、それは私の独裁バンド運営のせいであった。
私は自分の作った曲が可愛くてしょうがなかったのだ。
つまり、バンドメンバーが私の曲をアレンジしようものなら、
私は必死にそれを止めた。
当時の私は自分の曲を勝手に書き換えられる事を、
極端に嫌った。
「勝手に俺の曲を変えるな!」
それが私の言い分であった。
そんなリーダーにメンバーがいつまでも黙っているわけがない。
一人辞め、二人やめ、気がつけば私とボーカルの女の子二人のユニットとなってしまっていた。
あのバンドは反省すべき点が実に多い。
いい勉強をさせてもらった。
それでも、思い返せば楽しいアーティスト時代であった。
負け惜しみに聞こえるかもしれないが、
今になって思う。
アーティストを続けなくて良かった。と…。
もしあのままアーティストをしていれば、
今頃、霞を食べて生活しているに違いない。
だが、夢を追求し続けることができなかった自分に対し、
悔恨の念があるのも事実である。
その辺のバランスは実に難しい。
アーティストになるためには10パーセントの実力と90パーセントの運が必要である。
と言った人が昔いた。
それでも、音楽を仕事にするということは、
その大博打に乗るだけの価値のあることである。
無責任であるが、今アーティストを目指している若者には、
ぜひ頑張ってもらいたい。
イチゴがもうすぐ。