こうして私は主夫になった、、、

表現者を目指して最終的に主夫となった男のブログ

No,23 転職を決意

在朝の4時ちょうどである。

主夫の朝は早いといえ、早すぎである。

実は3時半に目が覚めた。

昨日の昼寝が影響しているに違いない。

あまりに暇なので、今日は早々にブログを更新しようと思う。

 

私の田舎生活が順調であったことは以前の記事に書いた。

結婚後、1年で長女が生まれ、5年後には長男が生まれた。

仕事では5年間同じ所属で営業をこなし、

その後、営業成績を買われた私は本部の営業指導員にまでなれた。

仕事も結婚生活も実に充実したものであった。

 

私が転職を決意したのは、

営業から営業指導員になって、営業手当や営業実績によってもらえるインセンティブがなくなってしまい、給料がガクンと減ってしまったからである。

 

給料はすでに妻よりも低かった。

当時の私は、まだまだ主夫になろうなんて微塵も考えていなかった。

むしろ、男は外で働くものだと考え、

社内でトップセールスを誇るプライドもあり、

 

「家族を養うのは私だ」

 

と変な気負いすらあったのである。

 

人の心理変化とは不思議なもので、

ド田舎に引っ越してきたときは仕事がなく、

 

「どんな仕事でもいいから仕事をしたい」

 

と下手に思っていたのに、

この頃の私は、

 

「これだけ仕事ができるのに、これだけしか給料がもらえないなんてここはどうかしてる。家族を養わなければならないのに、腹ただしいことこの上ない。」

 

と思うようになっていたのである。

今思えば、実に傲慢で我儘になったものである。

 

当時の私は生活水準を上げたかった。

特に金銭面で。

そんな矢先、先輩からとある組織の入組試験があるので受けて見ないかとお誘いがあった。

その組織とは高給取りで有名な組織であった。

(有名な組織であるが、大人の事情で名前は伏せておこうと思う。これについては酌み取って頂きたい。)

特にこの田舎ではかなりの上位クラスである。

私は完全にお金につられ、受けてみることにした。

まさか受かるとは思っていなかったので、

この当時の私はとても気軽に試験を受けに行ったのである。

 

この時の欲に駆られた判断が、後に主夫となる大きな運命の分かれ道になるのであった。

ちなみにその組織は仕事がとても厳しいことで有名な組織であった。

理不尽な事も多く、営業指導員にまで上り詰めたプライドの高い私にとっては、

そもそも不向きな仕事であったことは、後に知ることである。f:id:syufuninaru:20180603043820j:image朝焼けが綺麗である。